「なんとなく」が人生を豊かにする件
人生で「なんとなく」何かを決めることってありますか?
たくさんあるよって人もいるかもしれませんし、そんな適当に決めていない!って言う人もいると思います。
まあ、どっちでも良いんですけど、人生で「なんとなく」はある程度は必要です。
なぜなら、「なんとなく」は自分でも把握できない無意識を表現しているからです。
体の大事なシグナルを捉えることができます。
僕の場合、うつ病になってしまったのですが、しっかりと診断がなされる4ヶ月くらい前から変だなってのは感じてました。そして、仕事を休みたいなって思ってました。しかし、実際は土日も労働がまっていたのです。土日は強制労働というより、土日もやらないと終わらない感じです。休んだ分がどんどん自分に襲いかかってきます。
「なんとなく」感じていた休息欲求をしっかり満たしていたら、うつ病にはならなかったと思います。
こういう時、「休みたい」って言い難いんですよね。だって、実際に体調が悪いってのとは違うんですから。なんとなく変な気がするくらいで、別に熱があるとか嘔吐があるとかそういうのではないんですから。
こんな経験から、僕は「なんとなく」つまり、無意識を大切にすることをおすすめします。「なんとなく」何か食べたかったらすぐに食べて、寝たいと思ったらすぐ寝ることをおすすめします。
我慢すると僕みたいに、うつ病になっちゃいますよ。
なぜ「なんとなく」行動できないか?
では、ここからは何で「なんとなく」行動できないか?について考えていきたいと思います。
僕が考える原因は、
・他人の目
・合理的行動(効率を求める行動)
にあると考えられます。
・他人の目
僕の職場は、裁量労働制なので、自分のペースで労働できます。しかし、そうはいってもやはり求められる仕事のレベルがあります。それで、上司の目が厳しいのです。雰囲気で感じるものかもしれませんが。上に書いたように、強制ではないですが結局土日も労働しなくてはなりませんでした。こういったことから「なんとなく」休むってのができなくなってしまったのです。
・合理的行動(効率を求める行動)
そういった 他人の目を気にしなかったとしても、僕はうつ病になってしまったかもしれません。それは裁量労働制という制度に依存するものです。自分のペースでできるということは、サボることができる(空気的に厳しかったですが)一方で、自分で厳しくもできます。
僕は成長するのが好きってのもあって、自分に厳しくしていました。
単純に遊んでいるより、仕事している方が効率は良いですから、全然遊ばず仕事をしていました。趣味が仕事というのもあるんですが・・・。